平安時代、当時は貴族の別荘地として使われていた「伏見」。
豊臣秀吉が伏見城を築城して、その後は「名水の地」として城下町になりました。
その後、京都と大阪を結んでいる淀川水運の要地ということで、江戸時代には交通の面でも重宝されています。
そんな「伏見」について、名前の由来をご紹介していきます。
京都府「伏見」の地名の由来|複数の説を紹介
京都府の「伏見」という地名には、調べていくと いろいろな由来があります。
「伏見」は、古来から「水」に縁深かった土地としての歴史があるようです。
由来・説① 狩人が伏し見る場所だったから
京都市の南部には、もともと巨椋池(おぐらいけ)という大きな池がありました。
今では農業用の土地として干拓されましたが、1941年ごろまでは、日本ではトップクラスの大きさでありました。
そんな巨椋池ですが、狩人が狩猟の地として利用しており、狩人が「伏し見る」ための場であったことから「伏見」という地名がついたという説があります。
由来・説② 「伏水」とも書くことから、宇治川に由来している
「伏見」という字が主流となっていますが、実は別に「伏水」という書き方もあります。
この書き方から、宇治川の水が伏し湛うる場所であったため「伏水」と呼ばれたという説もあります。
水に縁のある地としては、こちらの説も説得力があるのではないでしょうか。
京都府の《伏見》の由来は【水】水の町・お酒の町として発展
前章でも解説した通り、伏見は名水の地として大変栄えています。
それは、お酒造りの条件にも合致していたため、お酒の名所としても発展してきました。
伏見の清酒というのは、日本にお米の文化が伝わった弥生時代にスタートしたとされています。
江戸時代には交通の面でも発展したことで、酒造家が急増したようです。
こうしたことも重なり、お酒文化の基盤ができていった訳ですね。
古くからお酒の歴史がある地として、以下のような酒蔵や蔵元があります。
・黄桜
・月桂冠
・松竹梅
・農祝
・月の桂
・蒼空
など他、22種類の酒蔵・蔵元があります。
また、「月桂冠大倉記念館」や「黄桜記念館」など、日本酒に関する記念館や資料館も多数作られていて、お酒好きの観光としては最高の観光名所ですね。
京都府の《伏見》の由来にはさまざまな説がある|まとめ
酒蔵や酒蔵が多数ある名所として知られる、『京都府京都市伏見区』
「豊臣秀吉」が「伏見城」を建てた土地で「徳川家康」も重宝したちでもあり、江戸時代には交通の面でも京都と大阪を繋ぐ重要な役目を果たしました。
「巨椋池から狩人が伏し見ていたから」「宇治川から水が伏し湛うるところであったから」など、「伏見」の由来はいろいろ。
日本酒の名産地であるので、お酒が好きな方はぜひ観光としても訪れてみてはいかがでしょうか。