伏見と言えば水どころ。上質な伏流水が各所から湧き起こっている中で、特にすぐれているとされたのが伏見の七つ井。
- 一、岩井(石井)← 御香水
- 一、白菊井
- 一、春日井
- 一、常盤井
- 一、苔清水
- 一、竹中清水
- 一、田中清水
その一つである石井は別名「御香水」と呼ばれ、その名の通りよい香りがしていたと言います。
今回は水の香り高さから御香宮(ごこうのみや/ぐう)と名づけられた御香宮神社を紹介。千数百年の歴史をたどっていきましょう!
御香宮神社の創建と御祭神たち
御香宮神社の創建年代について詳しいことは判っておらず、元は御諸(みもろ)神社と呼ばれていました。かつて延喜式内社に指定されていた御諸神社の論社(後継神社)と考えられています。
史料上の初出は平安時代前期の貞観4年(862年)。社殿を修繕した記録が伝わっており、同年9月9日に香り高い名水が湧き出たため、清和天皇によって御香宮の名が与えられました。
江戸時代前期に編纂された近畿圏の神社紹介書『菟芸泥赴(つぎねふ)』によると、香の字があることから筑紫国香椎宮(福岡県福岡市)から勧請されたとも言われています。
御香宮神社の御祭神は、主祭神の神功皇后をはじめ以下の通り(別説あり)。
- 一、応神天皇(神功皇后の息子)
- 一、仲哀天皇(同じく夫)
- 一、仁徳天皇(応神天皇の息子)
- 一、高良玉垂命(神功皇后を守護した住吉三神の一・底筒男命)
- 一、宇部大明神(武内宿禰。神功皇后に仕えた忠臣)
- 一、瀧祭神(伊勢・五十鈴川を守護する水神)
- 一、河上大明神(與止日女命。淀姫とも)
- 一、菟道稚郎子(応神天皇の息子で、仁徳天皇の異母弟)
- 一、白菊大明神(天太玉命。岩戸開きで活躍)
以上十柱だそうですが、御香宮神社の公式ホームページを読むと九柱のようなので、誰かが抜けるのかも知れません。
主祭神の神功皇后を中心に親しい者が合祀されているようなので、親疎の順から瀧祭神・河上大明神・白菊大明神あたりがオミットされるものと考えられます。
ともあれ御香宮神社のご利益は何と言っても安産。神功皇后は妊娠中にも関わらず腹に岩を当て、帯で巻きとめて出産を遅らせます。そして三韓討伐から凱旋したのち、無事に応神天皇を出産したのでした。
御祭神の中に水関係の神様がチラホラいるのは、水が抜ける≒安産に関係しているのでしょうね。
秀吉・家康・戊辰戦争…激動の歴史舞台となった御香宮神社
現代でも多くの方が安産祈願に参拝している御香宮神社。戦国時代の天下人・豊臣秀吉も天正18年(1590年)に願文と太刀を献上。生まれて間もない嫡男・鶴松の健康と多幸、そして二人目を祈願したのかも知れません。
やがて秀吉が文禄3年(1594年)から指月伏見城の建築を始めると、鬼門除けとして御香宮神社を城内の北東に遷座。社領として300石を与えました。
その現地は今でも古御香宮として伝えられ、伏見宮貞成(さだふさ)親王の陵墓ではないかと考えられています。
その後、慶長10年(1605年)になると徳川家康が元の場所へ再び遷座。本殿の造営には京都所司代の板倉勝重が普請奉行を務めました。その表門は関ヶ原の戦乱で焼失してしまった木幡山伏見城から大手門を移築したものだそうです。
以後、徳川家とゆかりの深まった御香宮神社。家康の九男・徳川義直から十一男の徳川頼房まで三人の男児は、御香水で産湯を使ったと言います。その後も十男・徳川頼宣の紀州家はじめ、彼らと御香宮神社のつながりは続きました。
他にも家康の孫娘である千姫(父は家康三男の徳川秀忠、母は浅井三姉妹の三女・江)が生まれたお祝いに神輿を寄進。人々に千姫神輿と親しまれ、修繕されながら現代に伝わっています。
しかし時代が下ると、江戸幕府の財政難から寺社に対する予算が削られ、修繕もままならなくなっていきました。
それでも心ある者たちの懸命な働きかけによって何とか修繕・再建が実現し、その伝統を守り抜いたということです。
そして幕末。慶応4年(1868年。明治元年)に勃発した鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)では、薩摩藩(新政府軍)が御香宮に本陣を置きました。
そこから大手筋をへだてる南側の伏見奉行所に立て籠もった会津藩や新選組(旧幕府軍)に砲撃を加え、みごと陥落させたと言います。
かくして明治時代に入ると、御香宮神社は国家神道の枠組み(※)における京都府社に列せられました。
(※)明治政府によって神社のランク付けが行われ、伊勢の神宮を頂点(別格)として官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社>府県藩社(御香宮神社はココ)>郷社>村社>無格社となっています(昭和の敗戦後に廃止)。
その後も国道24号線の拡幅に伴う境内の削減や、伏見奉行所跡地にあった小堀遠州ゆかりの庭園が再現されるなど、多くの手が加えられて現代に至るのでした。
千姫の幼少期と御香宮 ~ 復活した「千姫まつり」
伏見城下で生まれ育った「千姫」
家康の孫娘である千姫は慶長2年(1597年)4月11日、伏見城下の徳川屋敷で誕生しました。父親は徳川秀忠(家康嫡男)、母親は江姫(浅井三姉妹の三女)です。
千姫の誕生を喜んだ秀忠は、御香宮神社に神輿を寄進。その重量は六百貫(約2.3t)とも言われ、愛情の大きさがうかがわれます。人々からは「千姫神輿」と呼ばれ、長く親しまれました。
記録には残っていないようですが、千姫も叔父(義直・頼宣・頼房)たちと同じく御香水で産湯を使ったのではないでしょうか。
千姫は健やかに成長し、7歳となった慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の正室として大坂城へ嫁いでいきました。
この時、彼女の産土神(生まれた土地の神様。そこで生まれた者=産子を生涯守護する)である御香宮神社も、彼女の婚礼に何がしかの協力をしていたことでしょう。
その後も千姫と御香宮神社の関係は続いたものとみられ、今後の究明に期待が寄せられます。
千姫まつりとは
その後も御香宮神社で大切に保管されてきた千姫神輿。元禄7年(1697年)には損傷が激しくなったため、新調されたと言います。
使える資材はなるべく再利用したということで、部分によっては建立当初の趣を伝えているようです。
しかし2.3tというあまりの重さゆえに担ぎ手の確保が困難であり、昭和37年(1962年)にはとうとうお蔵入りしてしまいました。現代では祭礼など特別な時だけ限定公開されています。
平成21年(2009年)になると千姫を慕う地元の有志市民によって「千姫まつり」が開催されました。諸事情により平成24年(2012年)で途絶えてしまいますが、令和5年(2023年)に見事復活。
往時を偲ばせる時代装束に身を彩った千姫行列が、伏見城や御香宮神社をはじめ大手筋界隈を練り歩いて活況を呈しました。千姫の遺徳が、末永く愛されることを願っています。
御香宮神社・略年表
年代不詳 | 香椎宮から御祭神(神功皇后・仲哀天皇)が勧請され、御諸神社が創建 |
貞観4年(862年) | 境内から香り高い泉が湧き、清和天皇から御香宮神社と名づけられる |
天正18年(1590年) | 豊臣秀吉が祈願に参拝、願文と太刀を献上。社領300石を寄進する |
文禄3年(1594年) | 秀吉によって指月伏見城の北東(鬼門)に遷座される |
慶長2年(1597年) | 千姫(家康の孫娘。徳川秀忠と浅井江の娘)が誕生、お祝いに神輿(千姫神輿)が寄進される |
慶長5年(1600年) | 徳川義直(家康九男。尾張家初代)が誕生、御香水が産湯に使われる |
慶長7年(1602年) | 徳川頼宣(家康十男。紀伊家初代)が誕生、御香水が産湯に使われる |
慶長8年(1603年) | 徳川頼房(家康十一男)が誕生、御香水が産湯に使われる |
慶長10年(1605年) | 徳川家康が元の場所へ遷座、社領300石を寄進する |
元和8年(1622年) | 徳川頼房が表門を寄進する |
旗本・水野忠直が境内に家康を祀る東照宮を創建 | |
寛永2年(1625年) | 徳川頼宣が拝殿を寄進(再建)する |
寛永19年(1642年) | 伏見の代官奉行・小堀政一によって東照宮が修繕される |
万治2年(1659年) | 頼宣が頼宣が石鳥居を寄進する |
天和3年(1683年) | 山本宗信が算額を奉納する |
元禄7年(1697年) | 千姫神輿の損傷が激しいため、新調される |
元禄10年(1700年) | 神主の三木図書が寺社奉行に造営(大規模修繕)を要請する |
元禄11年(1701年) | 三木図書が再度要請するが、取り上げられず |
元禄14年(1704年) | 伏見奉行の建部政宇が老中に御香宮神社の造営をかけ合う |
宝永7年(1710年) | 要請が取り上げられ、本殿および表門の修復が実現 |
延享4年(1747年) | 頼宣が寄進した石鳥居を、徳川宗将(紀伊家7代)が再建する |
文久3年(1863年) | 西岡天極斎が算額を奉納する |
慶応4年(1868年) | 鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩が本陣を構える |
明治4年(1871年) | 太政官布告により、府社に指定される |
昭和21年(1946年) | GHQの神道指令により、社格制度が廃止される |
昭和32年(1957年) | 伏見奉行所跡の小堀遠州石庭が境内に移築再現される |
昭和37年(1962年) | 千姫神輿がお蔵入り(※六百貫≒2.3tと重すぎて担ぎ手が確保できなかったとのこと)、期間限定で公開されるように |
昭和44年(1969年) | 桃山天満宮が境内東側に遷座する |
昭和57年(1982年) | 涸れていた石井の御香水を復元する |
昭和61年(1986年) | 環境庁(現環境省)により御香水が名水百選に認定される |
平成2年(1990年) | 本殿の修繕が行われる |
平成9年(1997年) | 拝殿の解体修繕が行われる |
平成21年(2009年) | 市民有志グループにより、千姫まつりが開催される(~2012年まで毎年) |
令和5年(2023年) | 千姫まつりが再開される |
御香宮神社・基本データ
年中行事
1月1日 | 若水神事 |
1月7日 | 七種神事(七草粥) |
2月の中卯日 | 御弓始め神事 |
4月17日 | 例祭(家康の命日にちなむ) |
7月31日 | 茅の輪神事(夏越の祓) |
9月中旬 | 神能奉納 |
10月上旬 | 神幸祭(年により変更あり) |
11月15日 | 御火焚祭 |
12月の中卯日 | 醸造初神事 |
所蔵文化財など
国指定重要文化財 3点 | 一、本殿 |
一、表門 | |
一、金熨斗付太刀(伝 備前長光作) | |
京都府指定有形文化財 1点 | 一、拝殿 |
京都市指定天然記念物 1点 | 一、御香宮神社のソテツ |
アクセス
- 京阪電車「伏見桃山駅」から徒歩5分
- 近鉄京都線「桃山御陵前駅」から徒歩4分
- JR奈良線「桃山駅」から徒歩8分
※赤い大鳥居が目印となっています。
※参考文献:
- 御香宮神社(公式サイト)
- 京都伏見「千姫まつり 千姫行列」が2023年4月29日に12年ぶりに開催(伏見御香宮)
- 「THE伏見」編集部『京都を愉しむ 歴史でめぐる伏見の旅』淡交社、2015年9月
- 京都学研究会 編『京都を学ぶ【伏見編】-文化資源を発掘する-』ナカニシヤ出版、2022年3月
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