極楽いぶかしくば 宇治の御寺をうやまへ
【意訳】もしあなたが極楽の存在を信じられないのであれば、宇治の平等院へ来るがいい。きっと極楽があることを確信できるであろう……。
※平等院 公式サイトより
宇治の平等院と言えば、京都を代表する観光名所の一つ。
そして日本人なら誰でも知ってる「十円玉のアレ」こと鳳凰堂(阿弥陀堂)が有名ですよね。
藤原道長の別荘「宇治殿」として知られるほか、源平合戦や承久の乱における舞台ともなっています。
今回はそんな平等院鳳凰堂の歴史をはじめ、見どころやアクセスなどを紹介。皆さんが現地を訪れる際のご参考になるでしょう。
平等院の歴史
やんごとなき方々の別荘から寺院へ(平等院の歴史1)
平等院の歴史は古く、その起源はつまびらかではありませんが、8世紀末に源融がいとなんだ別荘が始まりと考えられています。
元から宇治の地は風光明媚で知られ、紫式部『源氏物語』宇治十帖の舞台となるなど、平安貴族たちから愛されていました。
源融の別荘はやがて陽成天皇・宇多天皇を経て、朱雀天皇の宇治院となります。
さらには源重信(宇多天皇の皇孫)を経て長徳4年(998年)に藤原道長の所有へ。宇治殿と呼ばれるようになったのでした。
時が流れて万寿4年(1027年)に道長が世を去ると、その後継者となった藤原頼通が宇治殿を受け継ぎます。
「いよいよ仏法が滅ぶ末法が近づいているという。この宇治殿を寄進して寺院に改め、少しは功徳を積んでおきたいものだ」
そこで永承7年(1052年)に明尊大僧正を開山(初代住職)として迎え、自ら開基(スポンサー)となって宇治殿を平等院と改めました。
「寺号は平等院がよかろう!」
「え、それは……」
この時、明尊大僧正が前に住職を務めていた寺院がすでに平等院と称していましたが、頼通は権力にモノ言わせて寺号を譲らせます。
「元の平等院は、寺号を円満院とせよ。平等院の寺号は円満に譲られたことをアピールするのじゃ」
「……承知」
かくして宇治殿は平等院となり、寺院としての歴史を歩み始めたのでした。
そうと決まればさっそく寺院に改修しましょう。平等院は園城寺(三井寺)の末寺として創建され、その本堂は宇治殿の寝殿をベースにしています。境内の西に鎮座していた縣神社を鎮守としました。
その他もろもろ手を加えて、翌天喜元年(1053年)には、西方浄土を現世に描き出したかのような阿弥陀堂が建立されます。これが現代に伝わる鳳凰堂です。
一大事業を成し遂げて満足したのか、藤原頼通は延久6年(1074年)に平等院で世を去ったのでした。
次第に荒廃していく中世(平等院の歴史2)
その後も藤原氏の庇護下にあった平等院は、藤原嫡流(藤原長者)の権威を証す場所として重んじられたと言います。
嘉承元年(1106年)には頼通の曾孫である藤原忠実が自らの正当性を誇示するために宇治入りを実施しました。
以来、藤原長者は摂政・関白の就任報告として平等院を参詣する慣習が永らく(鎌倉時代ごろまで)続いたそうです。
やがて治承4年(1180年)に源頼政が以仁王を擁立して挙兵。奮戦むなしく平等院(扇の芝)で自害しました。
寿永3年(1184年)には平等院の近くを流れる宇治川を隔てて木曾義仲と源義経が争い、承久3年(1221年)に勃発した承久の乱では北条泰時らが宇治川を踏破しました。
武士たちが台頭する中にあっても藤原氏の栄華を伝える寺院として繁栄した平等院ですが、建武3年(1336年)1月に足利尊氏と楠木正成の合戦によって平等院は炎上。平等院を除き境内伽藍のほとんどが焼失してしまったそうです。
南北朝時代を経て室町時代に入ると、平等院は次第に荒廃。文明17年(1485年)に山城国一揆が勃発すると、国人衆や農民たちが平等院で評定を行うなど、混迷の様相を深めました。
さらに戦国時代の明応年間(1492〜1501年)、浄土僧の栄久が平等院を再興するため浄土院(塔頭)を創建しています。
しかしこれも焼け石に水だったらしく、慶長15年(1610年)には本山の園城寺がついに平等院を放棄したのでした。
近世から現代まで(平等院の歴史3)
江戸時代に入り、平等院の管理は浄土院で行っていました。
しかし承応3年(1654年)に天台宗の最勝院が創建されると、寛文元年(1662年)からは最勝院の住持が平等院の管理を兼ねるようになります。
これに浄土院は激しく反発。争いを繰り広げた末、天和元年(1681年)に寺社奉行が裁定を下しました。
「平等院は浄土院と最勝院の共同管理とせよ」
かくして両院による共同管理となった平等院。しかし協力もむなしく、荒廃を食い止めることは出来なかったようです。
江戸幕末を経て明治時代に入ると、神仏分離・廃仏毀釈のあおりを受けて鎮守社であった縣(あがた)神社が独立しました。
すっかり荒廃していた平等院に手が入ったのは明治35年(1902年)。日露戦争の直前ですね。
このいわゆる「明治の改修」は明治40年(1907年)まで行われましたが、往時の偉容を取り戻せたのでしょうか。
昭和28年(1953年)には宗教法人平等院となり、今も浄土院と最勝院で共同管理されています。
このように千年の歳月を越え、宇治を代表する名所として愛されてきた平等院。しかし平成8年(1996年)から翌平成9年(1997年)にかけて鳳凰堂の背後に15階建てマンション二棟が建築されたことで、その風景が大きく損なわれてしまいました。
このことが平成14年(2002年)に制定された宇治市都市景観条例のキッカケとなり、景観法(平成16・2004年公布)に先立つ画期的な動きをもたらします。
当面の対策として、平等院の境内には楠が植えられ、樹高が10メートルを超えれば背景を覆い隠せると期待されているそうです。
また平成24年(2012年)9月3日から平成26年(2014年)3月31日には屋根の葺き替えや柱などの塗り直しも行われ、同年10月1日に落成しました。
かくして長い歳月を乗り越え、平等院鳳凰堂は今も人々に愛され続けています。
平等院にまつわる人々
藤原道長
康保3年(966年)生~万寿4年(1028年)12月4日没
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることの なしと思へば 道長
藤原実資『小右記』より
調子に乗って詠んだ絶頂の歌を、藤原実資『小右記』にバッチリ書き残されてしまった黒歴史を持つ道長。
貴族の五男坊から藤原氏長者の座を勝ち取った強運の持ち主として知られています。
藤原頼通
正暦3年(992年)1月生~延久6年(1074年)2月2日没
藤原道長の嫡男。父の跡を継いで藤原氏長者となります。永承7年(1052年)に亡き父の別荘・宇治殿を改修、平等院を建立しました。
その在世中は刀伊の入寇(寛仁3・1019年)や平忠常の乱(長元元・1028年)、前九年の役(永承6・1051年~康平5・1062年)など叛乱が相次ぎ、武士の台頭を目の当たりにすることに。
明尊(開山)
天禄2年(971年)生~康平6年(1063年)6月26日没
書家として名高い小野道風の孫。志賀僧正とも呼ばれました。
幼少時から出家して園城寺(三井寺)に入り、長暦2年(1038年)と永承3年(1048年)に天台座主となっていますが、それぞれ短期間で辞職しています。
のちに平等院の開山となり、その歴史を幕を開いたのでした。
定朝(仏師)
生年不詳~天喜5年(1057年)8月1日没
仏師として活躍した康尚の子として誕生。治安2年(1022年)に道長の創建した法成寺金堂・五大堂の仏を彫った功績が認められ、法橋の僧官を仏師として初めて与えられたと言います。
平等院鳳凰堂の本尊である阿弥陀如来坐像も定朝の作品とされ、現存している中で唯一彼のものと確証があるそうです。
平等院・参拝ガイド
拝観時間
庭園 | 8:30~17:30(受付終了17:15) |
鳳凰堂 | 9:30~16:10(各回定員50名) |
(受付開始9:00~先着順。定員に達し次第終了) | |
平等院ミュージアム鳳翔館 | 9:00~17:00(受付終了16:45) |
ミュージアムショップ | 9:00~17:00 |
茶房 藤花 | 10:00~16:30(ラストオーダー16:00) |
集印所 | 9:00~17:00(記帳・書置きの対応は日によって異なる) |
定休日
庭園 鳳翔館 ミュージアムショップ | 年中無休 |
茶房 藤花 | 月~水曜日(祝日は営業) |
※ただし寺の法要・仏事等によって内部拝観を休むことがあります。
料金
拝観料(庭園+鳳翔館)
大人 | 600円/団体500円 |
中高生 | 400円/団体300円 |
小学生 | 300円/団体200円 |
※団体は25名以上
※障害手帳をお持ちの方は本人+介添人1名が半額。
※庭園のみの料金設定はありません。
※京都市観光協会の修学旅行パスポートをお持ちの場合は割引になります。
志納(鳳凰堂内部拝観)
誰でも | 300円/1名 |
※1回20分、各回20名ずつ案内します。
平等院・アクセス
電車でお越しの場合
JR奈良線・京阪宇治線「宇治駅」から徒歩10分
※京都駅から宇治駅まで17分(JR奈良線・みやこ路快速)
※奈良駅から宇治駅まで31分(JR奈良線・みやこ路快速)
自動車でお越しの場合
※専用駐車場はございません。近隣のコインパーキング等をご利用ください。
大阪方面からお越しの方:
名神高速「大山崎JCT」から京滋バイパス「宇治西IC」から一般道
名護屋方面からお越しの方:
名神高速or新名神高速「瀬田東JCT」から京滋バイパス「宇治東IC」から一般道
奈良方面からお越しの方:
京奈和自動車道「城陽IC」から国道24号線・一般道
※参考:
- 『日本歴史地名大系 第26巻 京都府の地名』平凡社、1981年1月
- 冨島義幸『平等院鳳凰堂 現世と浄土のあいだ』吉川弘文館、2010年1月