伊勢屋、稲荷に犬の屎……かつて江戸時代には、そんな言葉がありました。
伊勢屋というお店の屋号、犬の落し物、そしてお稲荷様(稲荷大神)を祀るお社。そのくらい身近にありふれた存在として、人々から親しまれ「お稲荷さん」とも呼ばれてきた稲荷神社。
現代でも日本全国に約3万社も存在する お稲荷さん(稲荷神社)の頂点と言えば、京都の伏見稲荷大社です。
全国でもトップクラスの人気を誇る初詣スポットであり、どこまでも続くトンネルのような千本鳥居は、京都を代表する風景として多くの方が思い浮かべることでしょう。
今回はそんな伏見稲荷大社について、千年以上の歴史や豆知識などをまとめました。皆さんが伏見稲荷大社を参拝される時のご参考になれば嬉しいです。
伏見稲荷大社には、どんな神様がいるの?ご利益は?
伏見稲荷大社には五柱の神様が祀られており、この神々は稲荷大神がもつ偉大な神徳がそれぞれ独立した存在と考えられています。
- 宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)食べ物の女神
- 大官能売大神(オオミヤノメ)皇室の平安を守る女神
- 佐田彦大神(サタヒコ)農業や道開きの神。猿田彦の別名説も。
- 田中大神(タナカ)田んぼや大地の神(詳細不明、諸説あり)
- 四大神(シ)方角や季節の神(詳細不明、諸説あり)
食べ物、皇室、農業、田んぼ、四季……こうした要素から、古くから五穀豊穣や国家安泰が祈願されてきました。
現代でも商売繁盛・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達などまさに何でもござれのご利益で、多くの人気を集めています。
伏見稲荷大社の歴史(1/2)創建から中世まで
伏見稲荷大社の創建は和同4年(711年)2月初午の日とされています。
元明天皇の勅命を受けた秦伊侶具が伊奈利山三ヶ峰に三柱の神様をお祀りし、その年は大豊作で天下万民が富み栄えました。まさに効果てきめん、霊験あらたかですね。
そんな伏見稲荷大社の霊験は天長4年(827年)、淳和天皇がご不例の折も証明されました。占い師によれば、陛下の病は寺院建設のために御神木を伐ってしまった祟りとのこと。急いで稲荷大神に従五位下の神階を贈ったところ、やがて病は回復したとか。
延喜8年(908年)には藤原時平の造営によって社殿が寄進され、延長5年(927年)には名神大社そして二十二社の上七社に列せられたと『延喜式神名帳』に記録されています。
天慶5年(942年)には神様として最高位の正一位が送られ、霊験あらたかな神社として当時から多くの人気を集めました。
伏見稲荷大社の祭礼・稲荷祭は下鴨神社の葵祭、八坂神社の祇園祭と並ぶ大盛況を誇り、延久4年(1072年)には後三条天皇が初めて行幸されたと言います。
やがて時代が下ると神仏習合(神道と仏教徒の融合)が進み、五柱の神様は仏様の仮姿とされました。
- 稲荷大明神(宇迦之御魂大神)⇒十一面観音
- 中御前(佐田彦大神)⇒千手観音(大明神の後妻)
- 大多羅之女(大官能売大神)⇒如意輪観音(大明神の先妻)
- 四大神⇒毘沙門天(中御前の子)
- 田中大神⇒不動明王(大多羅之女の子)
『稲荷大明神流記』によると、こういう設定のようです。主人公に先妻・後妻とそれぞれ子供が一人ずつ。どういう背景があるのでしょうか。
また、お稲荷様のマスコットとも言える狐との関係は、少し時を遡って弘仁年間(810~824年)から始まったとか。
白狐の老夫婦が五匹の子狐と一緒に伏見稲荷大社へ参拝し、眷属(神の使い)にしてくれるよう祈願したところ、見事聞き入れられたという話が『稲荷流記』などに伝えられています。
はじめは伏見や京都一体に限られていた稲荷信仰。それが平安後期から鎌倉時代にかけて都落ちする貴族や、軍役のため上洛した武士たちによって全国へ広げられたのでした。
伏見稲荷大社の歴史(2/2)応仁の乱から現代へ
永享10年(1438年)、時の室町将軍・足利義教が勅命を受けて伏見稲荷大社の祠を稲荷山の頂上から山のふもとに移転したと言います。
更には境内の整備も進められたそうですが、応仁の乱(応仁元・1467年~文明9・1477年)が勃発すると、東軍の足軽大将・骨皮道賢が稲荷山に立て籠もりました。
ここを本拠地として大暴れしたそうですが、応仁2年(1468年)3月に西軍の総大将・山名宗全らに包囲されて道賢は討死。激しい戦火によって伏見稲荷大社はことごとく焼け落ちてしまいます。
応仁の乱による被害は甚だしく、戦後もしばらくは再建できないありさまでした。そこで東寺や愛染寺によって再建活動が勧められ、稲荷山には仏教系の稲荷として知られる荼吉尼天も祀られたことで、神仏習合はより深まっていきます。
明応元年(1492年)には本殿が修造され、明応8年(1499年)には五社相殿の本殿に遷座されました。
この資金を捻出するために本願所が設置され、沙門円阿弥によって諸国勧進(勧進とは寄附を募って回ること)が行われています。
伏見稲荷大社の再興に大きく貢献したのは かの豊臣秀吉(羽柴秀吉)。天正16年(1588年)に大政所(秀吉の母、仲)の病気平癒を祈願し、ぶじ回復したお礼として一万石にもなる所領を寄進を行いました。合わせて寄進された楼門は現代に伝わり、往時の栄華を伝えています。
やがて戦国乱世が終わりを告げ、江戸幕府が開かれると、徳川将軍家と宗旨の違う伏見稲荷大社はもっぱら朝廷や庶民の崇敬するところとなりました。
商売繁盛・家内安全などの御利益から稲荷人気はますます過熱し、ちょっと狐を見つけてはお稲荷様を勧請するようになったと言います。それで伊勢屋、稲荷に……状態になったのですね。
合わせて願いの叶ったお礼として朱色の鳥居を奉納する習慣が広まり、伏見稲荷大社でもトンネルのような千本鳥居が出現したのでした。
時は流れて慶応4年(1868年)、新政府軍が旧幕府軍と衝突した鳥羽・伏見の戦いでは応仁の乱以来の戦火に見舞われるかと思いきや、旧幕府軍が早々に撤退したため、伏見稲荷大社の被害はほとんどなかったと言います。
ただし同年に強行された神仏分離・廃仏毀釈によって伏見稲荷大社を維持してきた寺院はことごとく廃絶。また社殿に祀られていた仏像なども片っ端から破壊されてしまいました。
加えて伏見稲荷大社が所有していた社地はことごとく没収され、境内は四分の一にまで縮小してしまいます。
明治4年(1871年)には明治政府から官幣大社に指定されました。だから伏見稲荷「大社」なのですね。なお当時の正式名称は「稲荷神社」または「官幣大社稲荷神社」とのこと。
大東亜戦争に敗れた翌昭和21年(1946年)にGHQの指令によって社格を廃されて宗教法人化。この時に「伏見稲荷大社」と改名したのでした。
伏見稲荷大社の年間行事・イベントまとめ
伏見稲荷大社では年間を通してさまざまな祭礼や行事が行われています。実に盛りだくさんなので、伏見旅行の時に立ち会えるかも知れませんね!
1月 | ||
歳旦祭 | 1月1日 | 新年に国家安泰と無事平穏を祈願 |
大山祭 | 1月5日 | 五穀豊穣と家業繁栄を祈願 |
奉射祭 | 1月12日 | いわゆる御弓始神事、弓矢をもって邪気を祓う |
成年祭 | 成人の日 | 新成人への御加護を祈願 |
2月 | ||
節分祭 | 節分の日 | 除疫招福を祈願く豆まき行事 |
初午大祭 | 初午の日 | 稲荷大神の神徳を仰ぎ奉る |
4月 | ||
献花祭 | 4月1日 | 池坊華道会による生け花奉納 |
献茶祭 | 4月8日の最寄日曜日 | 薮内流による献茶奉納 |
産業祭 | 4月8日の最寄日曜日 | 産業興隆を祈願 |
水口播種祭 | 4月12日 | 種もみをまいて豊作を祈願 |
稲荷祭 | 4月20日の最寄日曜日 | 稲荷大神による巡幸 |
稲荷祭 | 4月下旬 | 御祭神五柱による巡幸 |
5月 | ||
稲荷祭(還幸祭) | 5月3日 | 御祭神五柱が巡幸よりお帰り |
稲荷後宮祭 | 5月4日 | 稲荷祭のしめくくり |
6月 | ||
田植祭 | 6月10日 | 稲苗を植えて豊作を祈願 |
大祓式 | 6月30日 | 夏越の祓。半年間の穢れを祓い清める |
7月 | ||
宵宮祭 | 本宮祭の前日 | |
本宮祭 | 7月土用入り後最初の日か祝日 | 全国の崇敬者による神恩感謝 |
10月 | ||
構員大祭 | スポーツの日(体育の日)の前々日~前日 | 家内安全・生業繁栄を祈願 |
献茶祭 | 10月24日 | 裏千家家元による献茶奉納 |
抜穂祭 | 10月25日 | 田んぼの収穫 |
11月 | ||
献花祭 | 11月1日 | 嵯峨御流華道総司所による生け花奉納 |
火焚祭 | 11月8日 | 五穀豊穣を稲荷大神に感謝、罪障消滅や万福招来を祈願 |
御神楽 | 11月8日 | 稲荷大神に御神楽を奉納 |
新嘗祭 | 11月23日 | 今年の収穫に感謝を奉げ、国家平安を祈願 |
12月 | ||
大祓式 | 12月31日 | 半年間の穢れを祓い清め、新年を迎える |
※その他、日常的な神事祭礼(日供祭、月次祭など)は除きます。
※行事の日程は変更になる可能性がありますので、訪れる前にご確認ください。
伏見稲荷大社へのアクセス
住所 | 京都府京都市伏見区深草薮之内町68 |
交通 | JR西日本奈良線「稲荷駅」下車すぐ前 |
京阪電鉄京阪本線「伏見稲荷駅」徒歩5分 | |
自動車 | 駐車場あり(24時間利用可・無料) |
※参考文献:
- 丘眞奈美『京都のご利益徹底ガイド』PHP文庫、2007年5月
- 岡田清司『京の社 神と仏の千三百年』塙書房、2000年1月
- 中村陽 監修『イチから知りたい日本の神さま 稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて』戎光祥出版、2009年11月
- 山折哲雄 編『神仏信仰事典シリーズ 稲荷信仰事典』戎光祥出版、1999年9月