京都・伏見の港町の歴史をたどる「十石舟・三十石船」の魅力!

十石舟のぼり旗(画像:「伏見をおもふ」撮影)

十石舟と三十石船の違いは?運航ルートは?

京都の伏見は、古くからその恵まれた地下水により、日本でも有数の酒処としての名声を築き上げています。伏見の町に広がる酒蔵の街並みは、その歴史や伝統を感じさせ、訪れる人々に風情豊かな雰囲気を味わわせてくれます。

しかし、伏見の魅力はお酒だけではありません。

伏見には、その歴史を今に伝える、「十石舟・三十石船」と呼ばれる観光船が運航されており、これが伏見の港町の歴史や風情をゆったりと船上から眺める手段として、地元では「京都・伏見の風物詩」と称されています。

今回は、この伏見の観光船「十石舟・三十石船」に焦点を当て、その魅力や歴史、見どころなどを詳しくご紹介します。

「十石舟・三十石船」とは?港町・伏見の風情を感じる観光船

夏の十石舟(画像:「伏見をおもふ」撮影)
夏の十石舟(画像:「伏見をおもふ」撮影)

「十石舟・三十石船」とは、江戸時代に京都の伏見で使用されていた、酒や米、旅客を運搬するための伝統的な輸送船の名前です。

現在、この歴史的な名前を冠した観光船は、江戸時代の十石舟・三十石船を細部まで再現した「観光遊覧船」として伏見で運航されています。船体は上質な檜や杉などの木材で造られ、帆や舳先などの装飾も当時のものを忠実に再現しています。

また、この観光船による往復約50分の船旅は、伏見の歴史に触れながら風情豊かな街並みを楽しむ絶好の機会となっており、観光客から高い評価を得ています。船上から眺める、酒蔵の景色や京都市自然100選にも選ばれた「伏見濠川の柳並木」の自然は、一層趣深く、静かな時間を過ごすことができるでしょう。

十石舟・三十石船の歴史

十石舟・三十石船の始まりは、伏見の歴史と深く関わりがあります。

伏見という街は、古くから豊富な地下水に恵まれてきた地であり、日本でも有数の酒処の一つとして栄えてきたことは有名です。江戸時代には、伏見で造られた酒は、大坂や江戸など、全国各地に運ばれていました。この際、十石舟・三十石船は、濠川・宇治川派流と宇治川・淀川を水路として酒や米などの物資を運び、伏見の酒造りの発展に不可欠な役割を果たしていたのです。

しかし、明治時代に入ると陸路の整備が進み、鉄道などが台頭する中で十石舟・三十石船の役割は次第に終息していきました。

それでも、その伝統は途絶えることなく、現在もなお、十石舟・三十石船は観光船として運航され、かつての舟運の歴史を訪れる人々に魅力を提供しています。

十石舟と三十石船の違いは?

十石舟・三十船は「十石舟」と一括りに説明されているところもあるので、その違いについて意外とわからない方もいるでしょう。

簡単に説明すると「積載量」の差が大きな違いになりますが、それ以外にも異なる部分があります。

十石舟(じっこくぶね)

まず、船の名前に使われている「石(こく)」とは、江戸時代の米の量を表す単位であり、1石あたり約180リットルを指します。つまり、十石舟は、十石(約1800リットル)の米を積むことができる船でした。

船底が平らという特徴から、荷物を積みやすく水の抵抗が少ないため、酒や米などの運搬に適していたとされています。さらに、陸でも引きづりながら運びやすいとされており、浅いところまで荷物を運搬できるようにするためにそのような設計にしたと言われています。

現在運航されている十石舟は定員20人となっており、乗船の際は弁天橋の袂「月桂冠大倉記念館の裏手」から出発します。

三十石船(さんじっこくぶね)

三十石船は、十石舟よりも大きな船で、文字通り三十石(約5400リットル」の物資を載せることができる大型の船です。もともと江戸時代の頃は、関所の通行証を持つ幕府公認の「過書船(かそぶね)」として使われていた旅客船であり、淀川を上下していたといわれています。

そして現在、伏見で運航している三十石船は、長さ約17m、幅2.5m、定員は30名の旅客専用船となっています。十石舟と異なり、坂本龍馬が襲撃されたことで有名な「寺田屋」の近くから乗船することが出来ます。

十石舟・三十石船でめぐる伏見の見どころ

以下では、十石舟・三十石船の船旅で見ることができる、伏見の名所スポットをご紹介します。

月桂冠大倉記念館

十石舟の出発地点付近にある月桂冠大倉記念館は、日本最大の酒造メーカーのひとつである月桂冠の博物館。京都・伏見の酒造りの歴史や文化の紹介のほか、月桂冠の酒造りに関する資料、酒造りの工程を再現した展示を見ることができます。

船上から眺める月桂冠大倉記念館は、江戸時代から伝わる酒造の街並みの景色をそのまま見ることのできる貴重な観光スポットです。船上では、船頭さんの解説も聞きながら、月桂冠大倉記念館の風情溢れる外観をお楽しみください。

寺田屋

寺田屋とは、江戸時代末期に起こった寺田屋事件の舞台となった旅籠。江戸時代には、淀川までを往来する船旅の観光客で賑わった船宿ですが、今では幕末の英雄「坂本龍馬」が襲撃された悲劇の場所として有名です。

本物の寺田屋は、戊辰戦争の初戦となった「鳥羽・伏見の戦い」によって消失しており、現在はその跡地の隣に当時の寺田屋を再現した「旅籠 寺田屋」が再建されています。

実際に、館内には弾痕や刀傷など当時の動乱の爪痕までしっかりと残されているため、今でも幕末の歴史を肌で体感することができるスポットです。

三栖閘門資料館(みすこうもん)

三栖閘門資料館は、船旅の折り返し地点にある「三栖閘門」で下船して見学することができる資料館です。

三栖閘門とは、江戸時代に伏見港と高瀬川を結ぶ水路の途中にある閘門のこと。二つあるゲート内の水位を調整しながら、水位の違う二つの川を繋ぐことによって船の往来を可能にすることができます。

資料館では、その三栖閘門の歴史や、模型を使って閘門の仕組みを解説したり、江戸時代の伏見港や伏見の街並みも展示されているので、伏見の様々な歴史についても学ぶことができます。

伏見みなと

船上からこの像を眺めれば、龍馬とお龍さんが過ごした、激動の時代を生き抜いた愛の物語に思いを馳せることができるでしょう。

十石舟と三十石船の公園

伏見みなと公園は、ちょうど寺田屋の向かいに位置する緑豊かな公園です。園内は、狭い出入り口からは予想できないほど、広々としたエリアが広がっており、かつての伏見港を連想させる美しい池も存在するため、散歩にもぴったりなスポットです。

さらに、船上からも見える位置には、「龍馬とお龍、愛の旅路」像と題した、龍馬と妻・お龍さんとが並んで立っている銅像も配置。これは、二人が伏見港から鹿児島へ旅立つ際に立ち寄った場所であることから、2人の愛情を象徴する像として、2011年に建立されたそうです。

運航ルートについて

十石舟の運航ルート

「月桂冠大倉記念館裏の河川沿い 発→三栖閘門下船(見学)→乗船→乗船場 着」で、往復約55分の船旅が楽しめます。

乗船前に、月桂冠大蔵記念館を見学して、お酒の試飲や伏見の酒造りの歴史や技術に触れてみることをお勧めします。

三十石船の運航ルート

「寺田屋浜乗船場  発→三栖閘門下船(見学)→乗船→寺田屋浜乗船場 着」で、往復約40分の船旅が楽しめます。

寺田屋近くからの運航になるため、坂本龍馬ゆかりの寺田屋を見学してから乗船すると坂本龍馬気分を味わえます。

十石舟・三十石船の基本情報

運航期間十石舟:2023年3月18日(土)〜12月3日(日)の期間
8月のみ1〜13日までの運航となります。
三十石船:イベント運航のみ
料金十石舟:大人1,500円(中学生以上)・小人750円(小学生以下)
三十石船:大人1500円(中学生以上)・小人750円(小学生以下)
出航時間十石舟:(通常運航期間)10:00、10:20、10:40、
11:00、11:20、13:00、13:20、13:40、14:00、14:20、
14:40、15:00、15:20、15:40、16:00、16:20
三十石船:1日6便9:35,10:35,11:35,13:35,14:35,15:35

まとめ

いかがでしたでしょうか?

十石舟・三十石船は、伏見の港町の歴史と風情を、ゆったりと船上から眺めることができる魅力的な船上アトラクションといえます。

伏見を訪れる際には、ぜひ十石舟・三十石船に乗船して、新たな発見と楽しい思い出をつくってみてはいかがでしょうか?きっと心に残る素敵な体験が待っています。